八幡(京都府)の葬儀・お布施

檀家としてのお付き合い不要

八幡での葬儀・葬儀費用軽減
葬儀費用を葬儀物品から安くは当然ですが、「葬儀は、葬儀社に依頼」、「お坊さんの読経は、お坊さんに依頼」と、別々に依頼することが「安いお布施」に繋がり、葬儀費用の軽減になります
「お坊さんのお経」
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☎ 072-772-7422
火葬式・葬儀でのお経・お布施

1日葬・葬儀でのお経・お布施

一般葬・葬儀でのお経・お布施

京都府八幡の葬儀関係

京都府八幡には、葬儀に対する市営葬儀・規格葬儀の取り組みはありません。
市には、死亡届の受付のみで、その他は葬儀社などに依頼することとなるようです。
又、八幡には火葬場もありません。
火葬に当たっては他市を利用しての火葬となります。
他市での火葬となるため、火葬料金の補助があり、市内・市外の料金の差額の半分が補助されます。
八幡の葬儀(おくやみ)の取り組み
【死亡届】
・届け出期間
死亡の事実を知った日から7日以内
・届出に必要なもの
1,死亡届(医師等が証明した死亡診断書(検案書)に記載がされているもの)
2,届出人の印鑑
・届出場所
死亡地・死亡者の本籍地・届出人の住所地、のいずれか
・届出人
1,同居の親族2,同居でない親族3,同居人4,家主・地主・土地家屋の管理人などの順
※死亡届が出されると火(埋葬)許可書を発行します。
火(埋葬)場所を事前に決めてから届出をして下さい。
八幡(京都府)の葬儀参考⇒八幡・おくやみ
【葬祭費】
被保険者が死亡された時、その葬祭を(喪主など)に対して葬祭費5万円が支給されます。
・申請に必要なもの
1,保険証
2,死亡を証明するもの
3,申請者の本人確認が出来る書類(マイナンバーカード、運転免許証、パスポートなど)
4,葬祭を行った人の確認が出来る書類(葬祭の領収書など)
5,委任状(葬祭を行った人以外が申請する場合)
【火葬料補助金交付のお知らせ】
八幡市には火葬場が無く、他の市区町村の火葬場を利用しているため、火葬場のある地元住民と、八幡市民では利用料金に格差が生じることがあります。
八幡市民が死亡又は死産した場合、火葬に係る費用の負担を軽減するため、火葬料の一部を補助します。
・補助金の額
補助金の額は、申請者が負担した火葬料から、火葬が行われた火葬場の設置されている市区町村の住民が負担すべき火葬料を差し引いて得た額の2分の1に相当する額とし、40,000円を限度とします。
但し、火葬された方が満11歳以下の場合は、30,500を限度とします。
・交付の条件
次の全ての条件を満たす場合に、火葬料補助金の申請が可能です。
1,八幡市民が死亡又は死産し、火葬された時。
2,火葬を行った方が火葬料を支払った時(公的扶助があった場合は除く)
3,支払った火葬料が当該火葬場の地元住民が支払う火葬料より多額であるとき。
・申請者及び申請方法
補助金の申請できる方は、火葬を行った方(火葬許可証の申請者)です。
八幡市火葬料補助金交付申請書に必要書類等を添えて申請して下さい。
尚、申請に必要なものは以下の通りです。
1,火葬許可証(死亡届を提出した際に発行され、火葬後骨壺に入れられ返却された書類)
2,火葬料金領収書(火葬場が発行したもの)
3,火葬を行った方の印鑑(認印可能)
4,火葬を行った方の振込口座が分かるもの(申請者本人名義)
その他
・火葬許可申請者が他の市区町村にお住いの方でも申請が可能です。
・他の市区町村で、火葬許可証が発行されていても、八幡市民が死亡又は死産した場合、申請が可能です。
・補助金の申請は、火葬が許可された日から6箇月以内に提出して下さい。
(6箇月を超えた場合、お支払いできません)
・交付決定後、申請月の翌月末までに指定された口座へ振り込みます。
八幡(京都府)の状況
八幡(京都府)は、八幡市域の南西部丘陵地から約2万年前の石器が出土しており、既に旧石器時代には人が生活していたことが窺われます。
又、弥生時代や古墳時代の遺跡などが八幡市域全域に分布しており、古代から開けていたことを示しています。
古代から近世に至るまで、交通手段として木津川や淀川の水路の利用が高まるとともに、陸路として古山陰道、東高野街道、京街道が整備され、八幡は山陰や奈良、京都へ通じる交通の要衝として重要な役割を担ってきました。
859年、平安京を鎮護するため、九州から八幡神が勧請され、男山に石清水八幡宮が建立されてからは、その門前町として発展しました。
文化面では、江戸時代初期、寛永の三筆の一人と称される松花堂昭乗が石清水八幡宮の坊舎に住まいし、当代の著名な文人たちと集い、書道・茶道・和歌などを介して文化の発信基地としても高い地位を占めていました。
江戸時代から明治期にかけては、農作物の開発や栽培が盛んとなり、京都・大阪という大消費地を抱え、豊かな田園の広がる近郊農村としても発展しました。
又、門前町としての規模的な拡大こそなかったものの、商業に於いても安定した発展を続けてきました。
明治の末期になると八幡市域の北端を通る鉄道が開通し、交通手段の発達に伴って、淀川水運の要衝としての八幡市の役割は次第に低下しました。
明治22年、町村制施行によって、現在の八幡市域に八幡町、都々城村、有智郷村、が設けられ、昭和29に、この3町村が合併して人口1万6千人の新しい八幡町となりました。
昭和30年代における京都・大阪都市圏の広がりは、近隣地域への人口の分散、ベッドタウン化をもたらしました。
特に八幡に於いては、2大都市圏の中間に位置するという立地条件もあって住宅適地として脚光を浴び、昭和40年代後半には都市基盤整備公団による男山団地の開発が主因となって、全国屈指の人口急増を見るに至りました。
昭和50年には、人口が5万人を超え、昭和52年11月1日に市制を施行、京都府内で11番目の市となる八幡市が誕生しました。
その後も、人口増加が続き、平成5年1月末日現在76,467人となりました。
只、これをピークに以降は激減し、現在は7万人前後を推移しています。
八幡人口:69,558人 (2022年11月現在)
面積:24,35㎢